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コミュニケーション

『楽しい顔で』

ペンネーム : 美猿

   今から約11年前、彼女のご主人は脳梗塞から体が不自由になった上に、失語症も患いました。それからの彼女はご主人の介護に明け暮れ、経済面をはじめ多くの問題にぶつかりましたが、持ち前のバイタリティーと心やさしい息子さんや娘さんの支えもあって、それらを一つ一つ乗り越えてきました。最近では、娘さんに留守を頼んで、地域のボランティア活動に参加できるようになりました。

 そんなある日、恩師から「たまにはショートステイに行ってもらって自分のための時間を作ったらいいよ」と助言されました。自分のことを思っての言葉と分かってはいるものの、今まで一生懸命に介護してきた彼女は、その言葉を聞いて無性に悲しくなり、家に着くなり大泣きしてしまったと言います。それは、ご主人を人様に預ける罪悪感というより、自分と娘でなくてはご主人のお世話はできないという思いがあったからでした。

 そのことを娘さんに話すと、娘さんは「お父さんだってお母さんが楽しい顔をしている方がうれしいと思うよ、ねえ、お父さん」と言い、ご主人の方を見ると、にっこりほほえんでいました。ご主人のやさしい表情と、思いきり泣いたおかげか、彼女は何かが吹っ切れたような気がしたとのことでした。

 ほどなくしてクラス会があり、娘さんの後押しもあって、彼女は「楽しもう!」と思って参加しました。そこでは、気の置けない仲間が全てを包み込んでくれ、時を忘れておしゃべりし、笑い、自分のための時間を大いに楽しむことがました。旧友とのつながりも深まり、たくさんの思い出もできました。そして何よりリフレッシュできた彼女は、以前にもまして楽しそうな顔で、ご主人との介護の日々を過ごしておられます。

 


『おじいちゃんの散髪』

ペンネーム : Lungo

お隣のおじいちゃんは、若いころの交通事故の影響で体が不自由なようですが、電動カートでどこへでも出かけていきます。

 そんなおじいちゃんの行動を毎日心配しているおばあちゃんのお話。

 「昨日はおじいちゃんがなかなか帰ってこないと思っていたら、新しくできたお店に一人で行って散髪してきたのよ。散髪だったら、いつも行っている近所のお店でいいのに……。」

 そのお店は新しくできたショッピングモールの中にあり、大通りを渡った向こう側です。そんなところまでよく一人で行かれたなあと、私もびっくりしました。

 次の日、日なたぼっこしているおじいちゃんを見かけたので、「散髪に行ってこられたそうですね」と、ちょっと声を掛けてみました。すると、「今までの髪型はあまり気に入っていなかったんじゃ。いつもの店では『今日はどうされますか?』と聞かれることなく、いつも通りに短く切られてしまってねえ。新しいお店の広告を見て、一度行ってみたいと思っていたんじゃよ。前髪を長めにしてもらったんじゃが、どうかな(^.^)?帰りはショッピングモールの中もぐるりと見学してきたよ」と、楽しそうに話してくださいました。

 髪を切ったときはいつも「さっぱりしたよ!」と頭をさわりながらうれしそうに話してくれるから、その店がおじいちゃんのお気に入りだと思っていたし、近くて慣れたお店の方がおばあちゃんも安心だろうと思っていました。まだまだおしゃれしたいのよね。うん、おじいちゃん、かっこいい!

 「いつも心配ばかりして、おじいちゃんの気持ちを少しも考えてなかったわ。ごめんなさい。私もちょっと髪型変えてみようかしら」と、おばあちゃん。そうそう、今度は二人でおしゃれして、一緒にお出掛けしてくださいね。

 


『義母の介護」』

ペンネーム : スイートピー

 義母は50歳のときに心臓の手術を受けたが、そのおかげで、海外旅行に何度も行けるほどに元気になり、ばりばり仕事もこなしていた。一人で近くに住んでいて、毎晩我が家で一緒に食事をしていた。70歳を過ぎたころ、主治医から「いつ倒れてもおかしくない」と言われ、74歳のときに同居することになった。

 同居すると、距離が近過ぎるせいか、楽しくない思いをすることが多くなった。そのたびに義母と私の間で夫を右往左往させてしまい、夫には本当に迷惑を掛けた。

 義母が仕事中に転んで足を骨折したのが78歳のとき。すでに大腿(たい)骨も疲労骨折していることが分かって、かかりつけの整形外科病棟に入院したのだが、主治医がきて、心臓と肝臓も相当弱っているからと内科病棟に移された。だんだん弱っていく義母を毎日病院に見舞った。車椅子で散歩に連れ出したり、背中や足をさすったりした。主治医からは「何でも好きなものを食べさせていい」と言われていたので、多分味を感じなくなっているだろうとは思ったけれど、義母の好きな「はも」を食べてもらったりした。最後の2週間は夫と交替で病院に泊まり、お世話をさせてもらった。

 可愛がっていた孫が神戸から見舞いに来て、元気に手をふって別れてから30分後、モニターがつながれていたナースステーションの看護師さんがあわてて病室に入ってきた。義母の息がなくなっていたらしい。そのとき病室に一人でいた私は、義母が亡くなったその事実が受け入れられなくて衝撃を受けた。

 夫とともに義母を介護させてもらった8か月間は、神様からのご褒美だったような気がする。お世話させてもらったからこそ、義母をいとおしく思う気持ちをいっぱい感じさせてもらった。お義母さん、本当にありがとう。

 


『至福の時』

ペンネーム : くじら

 今回のテーマは介護。私もちょっとだけ父の介護を体験しました。最初の一年間は700km離れた赴任先から月に一回、一泊二日で通う程度。転勤があって車で3分の場所に引っ越してからは、母から呼ばれる度に私や家内が駆けつける。そんな毎日が続きました。母からの依頼は突然やってきます。母は一人でやってみて、どうしようもなくなった末に電話を掛けてくるのが分かっていますから、夜中だろうが、朝方だろうが、すぐ行くようにはしてました。身体が動かなくなって、時にワガママを言う父に文句を言いながら、ある時には昔の思い出話を楽しそうに話しながら、父のために母は母で出来るだけのことを精いっぱいしていたのだと思います。

 毎日大変な母のためを思い「仕事のシフトを変えてもらって同居しようか」と提案しましたが「できるだけあなたたちに迷惑は掛けたくない。わざわざ仕事のシフトを変えるなんて、そんなことしなくてもいいわよ。私たちはこのまま二人でいるのが楽しいのだから」と母は言いました。

 なるほど……80歳の直前まで共に働き、朝から晩まで周囲に大勢の人がいる中で仕事をしてきた両親。そんな両親に今訪れた、誰に気兼ねすることもなく、そして誰に遠慮することもなく、夫婦二人だけで過ごす幸せな毎日。それが父の介護ではないかと勝手に思っています。そして、その父の介護を楽しんでいる母を、私は尊敬しています。