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楽しむ力

ゆとりをもって

ペンネーム : 美猿

 ある休日の朝、おしゃれなお店でモーニングセットを頂いた時のことです。紅茶を口にした主人がひとこと、「味がない」。見るとレモンティーを頼んだ主人のカップにはレモンがなく、母のカップに2片のレモンが浮かんでいました。運んできた店員さんが「お二人分のレモンです」と言ったのを、母は聞き取れなかったようでした。私の母は、身の回りのことから食事の用意まで何でも自分ですることができ、周りの皆さんからも「とても80歳には見えない」と言われます。特別、耳が遠い訳ではありませんが、不意に話しかけられると聞き落とすことがあるのだなあ……ということを思わせられた出来事でした。

 別のある日、話の前置きとして「健康診断のことだけど」と母に言うと、「えっ?」と聞き返してきたので、母には聞く準備ができていなかったのだなあと思いました。「言いたい」というこちらの思いが中心になっていたのですね。「今から話しますよ」の代わりに、ゆっくり間を取って「あ・ の・ ね」と声をかけて、相手が聞く気持ちになってから本題を話し始めたらいいのだと思いました。

 とは言うものの、せっかちな私はつい用件から切り出してしまい、今日もまた、母に聞き返されています。母の「えっ?」は、私のゆとりや優しさのなさを教えてくれているのですが、そのたびにいつも胸にチクッとささります。

 年齢を重ねた親と子の会話は、時に上下が逆転してしまうことがあるようです。こちらがひと工夫することによって、いつまでもよい親子関係を築いていけたらと思います。

 


ちゃんとしなくちゃ

ペンネーム : 鉢かつぎ

 いっときもじっとしていられない幼いわが子に向かって、「ちゃんとしなさい」と口走る。ちゃんとできるはずもないことは分かっているのに。それでも「ちゃんとして!」と、自分の都合を押し付ける。何かにつけて「ちゃんと」が口をついて出てくる。その度に、自分の口調が親にそっくりなことに苦笑してしてしまう。最近は「ちゃんと親孝行しなくちゃ……」と、思わずつぶやいている。

 親という立場になるまでは気にも留めなかったのだが、私の親はそれが口癖になるほど子供の教育に一生懸命だったようだ。ちゃんとした人に育つようにとの願いを込めて言っていたのだろう。けれど、自分自身がちゃんと育ったかどうかは怪しい。残念ながら、私は親の思いに素直に添うような親孝行な子ではなかった。ただ、悲しいほど必死だったその時の親の心情が、今では少し分かるような気がする。そして今頃やっと、これまで知らずにいた当時の親の事情や気持ちを、汲み取れるようになってきた。

 時を経て、離れて暮らす親に対する思いやりの気持ちを、自然に抱けるようになった。今は、子として親の心に寄り添える在り方がもっともっとできればと思っている。近況報告だけになっていた電話での会話も、声と一緒に気持ちまで聴かせてもらおうと心掛ければ、少しは親孝行になるのかもしれない。ちゃんと……とは、まだまだとてもいかないけれど。


父の背中

ペンネーム : あっちょんぶりけ

 92歳の父は脳梗塞を患い入院中。見舞いに行った時、父は車椅子に座って、窓から外の景色を眺めながら「この景色は変わらないんだよなぁ」と、そっとつぶやいた。その独り言には「私が亡くなっても……」という言葉が、その前にあるような含みを感じた。

 まだ仕事をしている時の父の後ろ姿は、でっかくて頼もしくて、でもちょっとおっかなかった。決して弱音を吐くことの無い「おやじ」。そんな父の思いがけないつぶやきに、答える言葉が見つからなかった。

 その時ふと思った。果たして自分は父親として子供たちにどんな背中を見せているのだろうか、またどんなふうに見られているのだろうか。今の自分には自信がない。親の背中を越せない自分がここにいる。

 せめて、先に逝った母の分も含めて、父に寄り添うこの時間を大切にして、精いっぱい親孝行している自分の背中を、子供たちに見せていきたいと思う。


私にできること…

ペンネーム : ストロベリー

 先日友人から「最近、親孝行しましたか?」と聞かれました。皆さんならどう答えますか? その時私は少なくとも「はい、こんなことをしました!」なんて、とてもじゃないけど答えられるものが見つかりませんでした。両親とは、結婚した時から遠く離れて住んでいますが、その距離のことを差し引いても、やはり「最近、親孝行は?」と問われると、何も浮かばないのが現実です。

 数年前、父の具合が悪くなり、病名を「ガン」だと知ったとき、あまりのショックにしばらくぼうぜんとしていたことを思い出します。その時、日ごろから親孝行できていなかった自分を悔いるとともに、娘として一体何ができるのか、もしできることがあるなら何でもしたい、と強く心に誓ったことも思い出されます。何度か実家に帰り、父の見舞いや母の手伝いをしたりしましたが、その後、幸いにも手術が成功し、術後の経過も良好で、今では仕事も、そして大好きな畑仕事もできるほどすっかり元気になっています。あれだけ願っていた父の元気な姿も、ちょっと時間がたつと、当たり前になってしまう……。ましてや、毎日の家事に追われて、親のことを思い浮かべることなく、一日が終わることもありました。

 「できることがあるなら、何でもしたい」、そう思ったあの時の気持ちは、私の本心でした。そして、今でも心の底にあるその思いに変わりはありません。 友人の問いかけをきっかけに、改めて考えてみたのです。離れた親に対して、私が毎日できることは何だろうかと…。

 そしてその日から始めました。一日一度は、親への思いを心に抱くこと。具体的には「祈る」ということです。毎朝、両親の笑顔を思い浮かべながら、神様に「どうぞ父、母が幸せでありますように」と、感謝の気持ちを込めて本気で祈るのです。すると、なんとなく気になって電話すると、ちょうどタイミングよく話ができて喜ばれたりします。

 離れているから何もできない、のではなくて、少なくとも「幸せを願って祈る」ということはできるのです。その本気の願いの先に、ちょうど良い加減の親孝行ができるのかもしれないと、最近感じています。