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楽しむ力

プラス マイナス
       25歳

ペンネーム : 美猿

 我が家の末娘は、とにかくよく話す。人前で話すのも上手だが、会社でのつらかったこと、うれしかったことなど、友達や親兄姉に何でも言ってくる。
 
 私は、自分の両親に対して、こんなに何でも話すことはできなかったなあと思う。幼い頃、両親は住み込みで働いていて忙しかった。そのために子供の私はかなり抑圧されていた。大人と話すことが苦手だったし、そもそも人前で話すことが苦だった。

 私は子育て三人目にしてやっと心に余裕ができ、末娘とはしっかり向き合って、最後まで話を聞くことに努めてきた。しかし、私たちの親の世代は、高度経済成長の時代。子供と向き合ってしっかり話を聞くなどというゆとりはなかっただろう。この親世代の働きのおかげで今の自分や子供があることを思えば、私たちには感謝しかない。

 そして、今、厳しい就職戦線にかろうじて引っ掛かり、男性ばかりの社員の中でただ一人、営業に走る末娘。彼女は将来どんな親子関係を築くのだろう。両親の世代、私、子供。私を中心におおよそプラスマイナス25歳。この年齢差は、そのままその時代を映している。それぞれが生きてきた時代背景を理解することも大切だと思う。

 


年齢差があってもなくても

ペンネーム : スイトピー

 私たち夫婦は1歳違いなので、年の離れた夫婦というのはどんな感じなのか想像できない。

 ある時、夫婦年齢差10歳という先輩のご主人に「年の離れた夫婦って、どうなんですか? 育ったときの社会状況も違うし、たぶんはやっていた歌なんかも違うでしょうし」とお尋ねした。すると「年齢が離れていると、すぐに諦めがつくんですよ」と冗談ぽく、少し笑って言われた。その先輩ご夫婦ははたから見ても仲の良いおしどり夫婦で、「諦めがつく」とただ単に照れて言われているのかなと思った。

 その話を、師と仰ぐIさんにすると「諦めという言葉は、辞書を引くと、明らかにするという意味もあるの。諦めは決心するとか覚悟することでもあるのよ。愛があれば覚悟はできる。覚悟ができていたら、何が起こっても、相手がどうあろうと、一つ一つ乗り越えることができるでしょ。結婚は諦めの連続とも言えるのよ」と話してくださった。

 振り返ってみると、諦めがつかずに、私はいろんな場面で夫に食ってかかってきた。その時は、年の差が1歳だから仕方がない、と自分に言い訳をしていた。10歳離れた先輩ご夫婦の、「諦めがつく」と言われた言葉の奥に、夫婦となった「覚悟」も「決心」も、そしてさらにその奥にある深い愛情も感じられた。

 年齢差もたぶん、それぞれの夫婦の個性と言える。年齢差があってもなくても、「覚悟」を持って毎日過ごしたら、「結婚して良かった」と心から相手に感謝できる夫婦になっていけるのではと思う 。


娘のネイル

ペンネーム : 笑う犬

 最近、中学生の娘の行動に理解できないことがしばしば起こってくる。

 その一つがネイルだ。春休みに入ったとたんに娘の爪は白く塗られていた……。最近流行の色らしい。ふと、「おしゃれをしたいのか……」と思ったが、ダメなものはダメ。「校則違反するな」と一言浴びせてしまった。きっと「やめなさい」と優しく言っても、理由を付けたり反抗したりするだろうと思い、自分勝手に会話を終わらせてしまった。案の定、娘はぶ然とした表情で何も言わない。気まずい雰囲気を感じていても、私は自分の言葉や態度を反省できず、時間だけが流れていった。

  幾度となくこんなことを続けていく中で、会話のキャッチボールをしてみようと考えた。白くなった娘の爪を見ながら、「なぜネイルがしたかったのか」と尋ねてみた。
 「友だちがしているのを見て、自分もやってみたかった」
 「でもそれは校則違反だろ?」

 「学校に行く時はしていないし、休み中だから校則違反とは思っていなかった」と。

  少し気持ちを踏み出して話し掛けてみると、意外なほど穏やかに話ができた。最後に「そうか」というと、娘はいつものにこやかな表情をした。その表情を見て、校則違反を理由にダメと言っていたものの、実はいつまでも父親に甘えていた娘が少しずつ親から自立して成長していることを受け入れられない自分がいることに気がついた。年頃の娘であれば、おしゃれをすることは仕方ないことである。ただの悪あがきと笑われるかもしれないが、心の奥底に「娘に近寄る異性に対する父親としての牽制(けんせい)」も含まれているようだ。

 親子の間にも、お互いに理解できないことがあるからこそ、一方通行にならないように会話のキャッチボールを大切にしなければ、と思った。今回の娘とのやりとりのように年齢差で理解できないことも、会話を大切にすることで幸せになれる道筋は見えてくると思う。


歳をとると

ペンネーム : くじら

 相手の状況が分かってみると、案外簡単に事が済むものなのだなと、ちょっと前には思いもしなかった幸福感を味わっています。

 母は車で2≠R分のところに住んでいます。母はもともと料理が上手で、今でも、時にお弁当を作ったり、料理を持ってきたりしてくれるのですが、実のところ最近はありがた迷惑……。味が濃すぎるのです。「おいしいかい?」と聞く母に、「もう少し薄味になりませんか」とはとても言えません。どうしてこんなに味オンチになったの?、料理の仕方を知ってるの? こんなに濃い味を食べさせて平気なの? などなど、母が料理を持ってくるたびにいろいろな思いが心の中で渦巻いて、腹が立つくらいイヤ=@な気分になっていました。

 そんなある日、テレビを見ていると「年齢がいくと味覚が薄れたりして、味付けが濃くなる人が多い」とあるコメンテーターが話していたのです。なるほど、そうなんだ=@歳がいくと味が濃くなるのか、仕方ないんだ=@と妙に納得。母に腹を立てていた自分がとっても小さい人間に思えました。そしてそのことをあっさり表現したら「おや、そうかい。遠慮なく言ってね」と、拍子抜けするほどの笑顔で答えてくれました。きっと濃い味を好むようになる、何十年後かの自分を戒めたことでした。