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楽しむ力

その先の自由

ペンネーム : 鉢かづき

 “型にはめられるのはイヤだ、自由にやりたい”と、10代の頃にはずっと思っていた。当時は、 “型にはめられて大切な個性を勝手に初期化されてはたまらない”という心境だった。

 ところが、そのうちに、型が存在しないと自由も何もままならない、ということに気付かされた。 友人に誘われて習い始めた華道の教室では、最初に基本の花型法を学ぶ。その場で皆と一緒に活けているのに、同じ花型、同じ花材にもかかわらず、出来上がった作品は、決して同じ『生け花』にはならない。活けた人それぞれの個性が不思議とにじみ出ている 。

 逆に、「自由に活けてみて」と言われた日は、さぞ強烈に個性が押し出された芸術作品になるだろうとの期待に反し、花を相手に悪戦苦闘。自らのスキル不足もあいまって、自由とは案外不自由なものだ、と観念する。
 まずいながらもやっと完成させた作品は、何ていうことはない、以前どこかで見たような花型によく収まっている。型がないと、せっかくの個性も形無しである。

 普段何げなく個性だと思い込んでいたものは、ただの差異でしかない。より良いものを目指すには基本を踏まえ、その先にこそ、型にはまらない自由な表現ができるに違いない。本当の個性が輝くのはその時かもしれない。


体をいつも基本の0にする

ペンネーム : ソフィ

 私の母は働き者である。 仕事を貯めずに、どんどん片付ける。
仕事のない時を「0」とすれば、ひとつ(+1)、二つ(+2)と増えてくる仕事をどんどん片付け、次の仕事の準備をし、自分の体をいつも「0」にしておく。 そうすると、次の仕事にすぐとりかかることができる。

 我が家に来客の予定が入ると、2、3日前から準備が始まる。 テーブルにはランチョンマットが敷かれ、グラス、箸、箸置き、おしぼりが用意される。
「そんな早くから用意をしなくても… 」と思うが、これが当日になるととても助かる。その日の朝には、すでにポテトサラダが出来上がっている。

 昔、社長夫人だった母は、20人ぐらいの社員の食事を作っていた。そのようなノウハウを生かした母の接待ぶりは、とても合理的である。
 「明日しよう」ではなく「できることは、今日すぐする」と、自分の体を常に基本の「0」に戻しておく。

  一度この母の真似をしてみたが、常に明るく楽しく弾んでいないとできないということがよく分かった。 すべての片付けを終えて、明日でなければできないこと、これからすることを紙に書き留め、今日一日を精いっぱい生き抜いて、体を基本の「0」に戻し、今日も母は床に就く。


何度も繰り返して
      気付いたこと

ペンネーム : ひまわり

 私が憧れて入学した学校は、集団演技が日本一の学校でした。
憧れと現実は思った以上にギャップがあり、気持ちは頑張っているつもりでも、体がついていきませんでした。腰が硬かった私は、初日の練習から辛くて涙してしまいました。来る日も来る日も基本動作の練習ばかりで、踊りの練習はさせてもらえませんでした。同じ体勢のまま何時間も我慢しなければならず、あまりの辛さに自分の腕をかみ締め、歯形がくっきりついてしまったこともありました。練習の意味も分からずに、ただただ言われた通りにするという、楽しくない毎日でした。

 でもそのうちに、曲に合わせて全員でする練習が始まると、自然にみんなの手や足の動きがぴったりと合うようになりました。何度も繰り返した基本動作の練習は、一瞬のポーズを時間をかけて体に覚えさせるためだったのです。自分たちの演技の集団美に感動し、一つ一つの動作が味わえるようになると、だんだん楽しくなっていきました。

 日々の繰り返しの中で、心を込めて積極的に物事に取り組んでいくと、昨日と違った自分に出会えることに、気付かせていただいたのでした。

 


心地よい緊張を胸に

ペンネーム : ストロベリー

 免許を取得するため、自動車学校に通うことになった。教科書での勉強を数時間しただけで、「はい、ハンドルを握って。次は左に曲がって…」。信じられない!運転席に座りエンジンをかけ、運転をしている私がいるなんて! 人生初運転!! それから数日間、学科と教習を繰り返していたが、緊張からなのかいつになっても運転がスムーズにできない。

 ある日、先生の「あなたは前が見えていますか?」という質問に、私は迷いながらも「見えていません…」と答えた。すると「前は見えているはず。あなたが見ていないのですよ。これからは『多分見えていませんでした』では済まされません。だから周囲をよく見て予測し、気を配りながら運転をしていかなくてはならないのですよ」と。 先生の一言でハッとした。甘い考えではいけない。視野を広げ、心も体も働かして運転しなければならないんだ…。

 ただ、ハンドル操作に必死で、なかなか「見る」ことも大変!しかし何日も教習所に通って運転に慣れてくると、前もバックミラーもサイドミラーも「見る」 ことができるようになっていったように思う。 そして、普段の生活でも「何となく見ている」から「意識して見る」ようにすると、夫のことや子供のことも、見ているようで見えてないことがある!と、発見できたのもありがたかった。

 月日は流れ、なんとか最終の路上試験にも無事合格し、自動車免許を取得することができた。今は、行動範囲と視野が広がったことに喜びを感じつつ、心地よい緊張感を胸に、自動車の運転を楽しんでいる。