HOME

気付く喜び

ペンネーム:モモ

 まだまだ駆け出しだったころ、上司が交代した。新しい上司は以前の上司より10歳以上年配でベテランの味があり、その一挙手一投足から何でも吸収させてもらいたいと思った。

 赴任して来られて三日ほどたった頃、「奥のトイレの水が流れないのだが、使用禁止の紙を貼っておいてくれないか」と言われた。業務ルーチン以外の初めての指示に、簡単な内容だけれど心を込めて対応したいと思った。「使用禁止」と紙に書くだけのことに、紙の大きさから何色のどれくらいの太さのマジックを使うか、字の配置など、自分なりに考えて書き上げ、トイレのドアに貼っておいた。

 その二日ほど後、今度は「あのトイレだが、修理するにはどこへ電話したら良いかな」と言われた。私は狼狽して「電話は私が掛けます。しかし、ちょっとお待ちください」と答えた。

 業者に電話すればそれで済むけれど、故障の原因は私でも修理可能な程度のことかも知れなかった。それを何一つ確かめもせず、私はそのまま放置していた。「修理する」という肝心の動きができていないことを、修理依頼先を尋ねられた瞬間に認識した。「使用禁止と紙に書いて貼れ」と言われたらそれしかしない、そんな自分であることが恥ずかしかった。

 タンクの中を開けてみると原因が分かり、すぐに直すことができた。器具も何も要らなかった。あまりの簡単さに、タンクのふたを開けてみることさえしなかった自分にあきれる思いだった。

 上司へ修理完了の報告と共に「『使用禁止と貼れ』と言われたらそれしかしない自分だったということを反省しました」と言うとニコッと笑われた。

 前の上司なら「お前は、使用禁止と貼れと言われたらそれしかせんのか!」と言われたかもしれない。でもそれでは「しまった、ミスった」という思いが中心になり、「こんな自分ではいけない」としみじみ思うことには至らない気がする。「反省しろ!」と結論まで言ってしまうことは、相手が自分で反省する機会を奪ってしまうのではないか。ささいな出来事だったが、そうしたことを深く考えさせられた。

 それ以来、悩んでいる人に「どうしたの?」と声を掛けても、自分の言うことが指図になってしまわないように気を付けている。どんな思いでいるのかを聞かせてもらい、できればその人が自分で気付けるようにし、気付かれたことを一緒に喜んでいる。自分で気付いたことならばなおさら「失敗しても、それでこそ心に深く身に付くことがある」(これもその上司の受け売り)。

 「自分で気付く」という喜びを相手から奪ってしまわないよう……、その大切さを少しでも分かることができたことは幸せだったと、今も感謝している。

 


リセット

ペンネーム:Lungo

 会社のクリーニング部門で長年一緒に働いていた同僚が一度に退職したので、新しいメンバーで仕事のローテーションや配置を考え直すことになった。仕事は主に社員のユニフォームの洗濯。以前より人数も増えているので、まずは今までの形でローテーションを考えてみた。

 ところが、1週間もたつと少しずつ問題点が見えてきた。新しいメンバーは子供さんのおられる方、年配の方、時間に制限のある方などパートの方が多く、勤務時間が短い。さらに、洗濯は機械がしてくれるけれど、アイロンがけや、繕いなど、熟練の技?には簡単に追いつくわけではなく、今までの形では仕事が進まない。もちろん慣れるまでは仕方がないことだけれど、「何か良い在り方はないのだろうか」と悩みながら、日々、忙しく時間だけは過ぎていく。そして一日が終わると、どっと疲れた気分になる。

 「何が間違っているのだろうか」と考えてみた。すると、仕事をこなすことばかりに気持ちが偏っている自分に気が付いた。

 そもそも、メンバーも事情も変わったのだから、同じ形でうまくいくとは限らない。できないところは時間をかければいいことだし、みんなで協力し、お互いにカバーして楽しく仕事をすることが大事なのに、今までのやり方にとらわれ、何とかうまく仕事を進めることばかりに気持ちがつき過ぎていたことを反省した。

 よし、一度リセットし、時間、配置、方法もすべて見直してみよう。今までの考えを捨ててしまうと何だか気持ちも軽くなった。

 状況は日々変わる。ローテーションや配置もまた、変わっていっていい。

 今日は今日、明日は明日。楽しく仕事をすることが大事なのだから。

 


勇気を持って踏みだそう

ペンネーム:くじら

 NHK音楽コンクール全国大会の常連だった小学校のコーラス部は、私にとっては憧れのクラブでした。入部試験が厳しくて、何人も落とされていました。5年生になったある日、「入部試験に挑戦したい」と思った私は、同級生に相談しました。今、思えば相談する相手 を間違ったのでしょうが、その時の私には精いっぱいの表現でした。友だちは「おまえがぁ?無理だよ、落ちるに決まってる」と一言。自分でも音痴だろうと感じていた私は即、諦めてしまいました。

 卒業式の日、音楽の先生にも卒業ノートを書いてもらおうと挨拶に行っ た時、その先生が「君はどうしてコーラス部に入らなかったの」と聞かれました。 私は「音痴だし、友だちからも落ちると言われましたから」と正直に答えたのです。先生はやや怒ったように「誰がそんなこと言ったの…君は決して音痴ではないよ」と言われ、卒業ノートに「自信を持って表現しよう」と書いてくださいました。

 あぁ、後悔先に立たず、なぜあの友だちに相談したのか。なぜ勇気を持って先生に「コーラス部に入りたい」と言わなかったのか。

 それからも後悔することは何度かありましたが、少なくとも「するかしないか」迷った時は「する」方を選ぶようにしています。しないで後悔するよりも、やってみて後悔する方が何十倍も自分自身で納得できます。

 そして、良い相談者を持つこと。とんでもないアドバイスをされたら、それこそ“後悔先に立たず”ですからね~。もちろん、結局は自分で決断して自分で実行して自分で責任を持つのですが…。これからも勇気を持って、「する」方を選択し続けていきたいと思います。

 


表現コンプレックス

ペンネーム:鉢かつぎ

 「何で黙っているの?」子供の頃、周りの人からよく尋ねられた。

 「もっと表現しなさい」と言われると、ますます何も言えなくなる。言いたいことがうまく言えない。気持ちを伝える言葉を思いつかず、頑張って表現しても伝わらずに誤解されてしまう。すると何だか怖くて何も言えなくなる。「表現しなさい」と背中を押されるが、言葉はどこかに隠れて見つからない。沈黙の時間だけがどんどん先へ行ってしまい、どうしていいか分からない。そうこうしているうちに、もう伝えたかったことも思い出せないので黙っていると、「表現しなさい」とせき立てられて固まってしまい、今度は「どうして固まるんだ」と叱咤激励が飛んできて……そう、まるで必要以上にクリックし過ぎてフリーズしてしまう、パソコンのよう……。

 「カチカチカチッ」と指先にいら立ちの感情を込めて、矢継ぎ早な催促をしてしまい、その結果、ウンともスンとも言わずに固まってしまうパソコン。けれど、人と違うパソコンの良いところは、決して悩んだり自己卑下したりしないところだ。

 大人になった私は、パソコン同様に「カチカチカチッ」と小学生の子供にも接してしまって後悔することがある。こちらの一方的な「カチカチカチッ」のせいで、沈黙の理由が聞こえなくなってしまうからだ。

 表現を要求するのは相手の都合だから、別に悩むことはない。固まってしまう自分を情けなく思うこともない。なんてことはない、リセットしてもう一回起動すればいい。いつでも何度でもめげないで。その時ついでに“コンプレックス”もごみ箱に捨てちゃえばもっといい。ごみ箱を空にすると身も心も軽やかに、動きがしなやかになる。人もパソコンも、もう固まらなくて済むはずだから。