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愛はコミュニケーション

『親切とおせっかいの境目』

ペンネーム :うなぎいぬ

  仕事場に行くと、ゴミが台車に乗せてあった。同僚が、前日に台車に乗せて出しやすいように準備しているんだなぁと思ったが、いつもより重かったので、私がゴミ集積所に出してしまった。 そうしたら、「私が出そうと準備してたのに、私の仕事をとらないで!あんたはあんたの仕事があるでしょ!」と、顔を会わせるなり怒鳴られた。

 年上のその人は、みんなのためにいつも仕事がし易いように周りをきれいに整理整頓してくれていた。「あぁ、ごめんなさい。尋ねもしないで勝手に出してスミマセンでした」と謝ったら「私はパソコンとかができないから、できることはさせてもらいたいの!」と……。

 口は悪いが、相手のことを考えて周りのことをしてくれているのに、あぁ?本当に申し訳なかった。ゴミを出しに行く時”出さない方がいいかな?“と、フッと思いながらも 出してしまった私。

 「親切」と「おせっかい」の境界線はどこにあるのか?

 ふだんのお互いの関係にもよるが、年齢、環境、その時の体調によっても違ってくる。しかし、感情のアンテナがどこに向いているのか?ということに尽きるのではないか、と最近になって考えるようになった。

 アンテナが常に相手のほうに向いている人、つまり相手の立場や背景に寄り添って考えられる人の「おせっかい」は、こちらも心地よく受け止めることができる。それは、自分のことを本気で考えてくれているのが伝わる「親切」だから。

 自分発信の考え方しかできない人の「おせっかい」は、ただの押しつけになりがちだ。日ごろから(自分がこうだから相手もこうするはずだ)という思考回路になっているためで、これでは相手も心を開くことができなかったりする。

 「おせっかい」だったと気が付いた時、アンテナの方位を確認するように努力をしている。

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